★カラクリタンス・家具・工芸品の事は何でもお問合せ下さい!!
 材質は、カラクリの機能や隙間に隠してある忍び箱などが、エアコン、直射日光、湿気等の木の収縮で障害がなるべく起きない様、天然木(桐・ケヤキ・タモ・セン・ハン材料等)と、彫用シナ合板・天然木突板張り合板・ラワン合板・中質繊維材などと組み合わせて使用してあります。


              カラクリ IN 浮世絵春画


 浮世絵とは、【浮世の事を浮きに浮いて描写した楽しい絵】を描いた、日本が誇れる 世界最高技術 の 多色摺り木版画 です。

 その側面でもある【浮世絵春画】とは、性風俗(主に男女の性交場面)を描いた浮世絵の一種です。枕絵や笑い絵、枕草紙、秘画、ワ印などとも言われます。


 元々は 中国 に起源があり、日本には 平安時代の頃に渡来してきたと言われており、当初は、偃息図(おそくず) と言って医術のための 説明図 だったようですが、日本では性器を誇大に描かれたり、意味も独自にアレンジされました・・・




 
 日本において、性器は、生命力信仰の シンボル であり、生命力信仰 が 呪術的 な 魔除け による 浄化作用 として伝えられていたことから、【浮世絵春画】『魔除け』 になると重宝されることになり、戦国の時代には 武将の 刀箪笥 や 鎧櫃 に、 『勝絵』 として入れられました。

 後には、商人が 火事 を避ける願いを込めて 『火災除け』 として蔵に置いたり、米屋が 『虫除け』 に、嫁入する娘に 『嫁入枕』 として嫁入道具の中などに携えられたりするようになりました。

 その後、江戸時代 に 浮世絵 が一般的になるのと同じく【浮世絵春画】も普及され、 魔除け の他に、性教育 や 夫婦間でのテキスト としても利用されることとなったのですが、

 【浮世絵春画】は、本来 『魔除け』 として、その意味を強く持ち、珍重され、利用されていたのです。


 【若慎の一言】
 そんな【浮世絵春画】ですから、貴重品・秘蔵品 に当たり大切にされたことでしょう。
 更に、私が思うに、やはり、今も昔も、ス○ベイなものは、親に子供に…  人目から隠したに違いありません。

 おのずと、カラクリに隠されたに違いありません。

 カラクリタンスに忍ばせば、魔除け、厄除け、火災除け、虫除け、新築祝い、結婚祝い、夫婦和合、友人・知人・親類・お客に笑いと自慢、楽しみ考えながら収納できるおもしろいカラクリタンスに生まれ変わります。



魔除けの秘符 と 浮世絵春画

※カラクリタンスに魔除けの願いを

 からくり箪笥ご購入の方で、ご希望があれば「魔除け」「火災除け」になる 魔除け の秘符 と 下記ご希望作家の 浮世絵春画(コピー)を、1セットにしてお付けしております。
(B6サイズ、専用カードケース付)

 ご希望の方は、注文の際に作家名と番号を付け加えてお知らせください。

 手元に届きましたら、秘符・浮世絵春画(コピー)は、好きなカラクリ場所に備え入れてください。


浮世絵作家紹介

※浮世絵春画の写真は意図的に一部ぼかしてます。 (実物にはありません)

 

*鈴木春信(1725〜1770 46才) 
 
 浮世絵の多色摺り「錦絵」の創作者。浮世絵に新しい工夫とデザインをとりいれた作品から特に「枕絵」の描写においてその構図、色彩、変化に富み、「美人画」「枕絵」共に背景、調度品、衣装、小道具に至るまで丹念に研究し添加している。江戸随一美人の「笠森お仙」を全国に名を高らしめ、豆男の諸行行脚「豆衛門女男色遊び」は好評であった。


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*葛飾北斎(1760〜1849 90才)

 浮世絵界の大奇人。森羅万象あらゆるものを描写していく処不可無し、その模倣な行動は比を見ない画狂人であった。彼の枕絵は、美人画と共に表情の美しさ、衣類の袖、衿、下着等の独特な線、縮緬布の感じを誇張したそのギザギザした描写の仕方が男女の性の享楽を一層強烈なものとしている。


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*鳥居清長(1752〜1815 64才)
 
 浮世絵美人画三巨匠、歌麿、春信、そして清長。温厚純良な人柄が作品に表れている。鳥居派の出身だが派の筆致を脱した表現で「江戸随一の浮世絵師」と記されている程で、歌麿初期作品のふっくらした美人画の元となっている。彼の枕絵は女性が皆豊麗な肉付けで美しく、官能の表情が特に見事。


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*喜多川歌麿(1806〜1753 54才)

 二百五十年余り経た今日でも世界の人々を魅了する美人画で有名な彼。秘画研究の熱も旺盛で、長期吉原に滞在し、豪遊、遊女達の赤裸々な性行為の姿態を次々に描写し続けたが、この天才な美人画家も「寛政の改革」で幕府に捕らわれ出獄後翌年不遇の中で死んだ。


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